書籍

大切にしている言葉

はじめに。


仕事柄、「好きな言葉は?」とか「あなたの格言は?」と、よく尋ねられます。そういう時は・・・


「生きてるだけで丸儲け」


と、答えます。自画自賛するのもなんですが、なかなか良い言葉でしょう?(そうでもないかな・・ははは。)実は明石家さんまさんが言っていた言葉です。

40年も生きていると様々な事がありますわね。でも、それって生きているからこそ体験できるわけであって、物凄く辛く思いをし、どん底の状態にあったとしても、「でも、俺、生きてるんだよね~」と思えば、また、自分にとってマイナスな出来事があっても、生きている事自体がが「プラマイゼロの状態」だと思ってしまえば、なんとなく救われるような気がするんですよね。


次。


指揮者として生きていこうかなと思い始めていた頃、横浜の合唱団で5年ほど三澤洋史先生のアシスタント(副指揮)を務めたんですが、何か雑談をしていたとき、ありがたいお言葉をいただきました。


「葭田君。指揮者ってのはね、常に最悪の状態を想定しておくんだよ。」


指揮をしている団体が、仮に良い状態で音楽を奏でているときでも、最悪の状態を想定しておく。想定していれば、何かが突然起こっても、その対処が余裕を持ってできる。一時期「想定外」という言葉が流行りましたが、想定内か想定外なのかは、その人の持っているキャパシティによって変わってきますよね。広い視野を持ち、その団体で音楽上(運営上)起こりうることを想定しておく。たとえ最悪の状態に陥ろうとも、最低限キープできるところまで持っていく。まあ、ハニー(やっぱ恥ずかしい・・)には、「マイナス思考だよね」と言われるんですけれど。あらゆることを考えているだけなんで、マイナス思考と言われるには、ちょっと違うんでねえかい?と思うのですがね。


最後。


私は、司馬遼太郎さんが好きなんで、よく読みます。特に戦国時代が好きなんですが、司馬さんは著書の中で・・


「良い武将とは、歴史を意識しながら生きている」


と言っています。これはね、「おーーーーーなるほど!!」と思いましたよ。自分も人の前に立つ事が多いですから、自分の未来、私と接している人の未来、もうちょっと言えば、存在している社会の未来に対して、自分の発言や行動がどういった影響を与えるのか。別に格好をつけたり、着飾るのではなく、どれだけ、それぞれのものに対し、いろいろな意味で「潔く」いられるのか。まあ、失言が多いし(汗)、歴史を意識しながら生きられるようなレヴェルの人間ではありませんが、生涯の目標として胸に刻んでいる言葉です。

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やっと24巻

久しぶりに読書の話でも。

司馬遼太郎の「街道を行く」全43巻(前に47って書いた記憶があるんですが、間違ってました)、やっと24巻目に入ることが出来ました。まだ、半分クリアしたって感じなんですね。道のりは長い・・

この本を読んでいると、色んな街に行きたくなってしまって困るのですが、司馬さんの書く文字から、その土地の風景を想像するのがとっても心地よいのです。文字を読んでるだけなのに、どんどん風景が見えてくるんですよ。不思議な感覚。

司馬さんの本を読み始める前は、漫画大好き人間だったのにな。今は一切読んでません。文字と言うのは、能動的に読めば読むほど、自分なりの絵が展開されていくでしょ。この快感を覚えてしまったら、イメージが固定されてしまう漫画は詰まらなくなるんですよ。

考えてみれば楽譜も同じなんだよね。音符と歌詞が無機質に印刷されているだけなのに、見ているとどんどんイメージが広がってくる。あ、ここは作曲者がこういう要求をしているんだなとか、ここは遊んでるなとか、ここは一番訴えたいところなんだなとか。読書をしだしてから、自分でイメージし、展開できる幅が確実に広がったなと思うんですよ。その証拠に、以前は、発想記号が一杯書かれている楽譜の方が楽だなと思ってたんですけれど、最近は、あまり書かれていない楽譜の方が好きになった。

もちろん、作曲者としては意図した通りに演奏して欲しいと思って、一杯書き込むのかもしれない。まあ、その気持ちも分かるんですけど。そうだよね~、ここはcrescendoしたいよね~・ritしたいよね~と思っているうちは良いのですが、あまりごちゃごちゃ書かれると、そんな発想記号書かなくても分かるのに、君の気持ちはよく分かったから、もう少し演奏者を信用してくれと思ってしまう。ま、こっちもわがままですから、勝手に思っているだけですけれど(笑)

今、モーツァルトのミサ曲を2団体でやってるんですけど、速度指定と「f」「p」くらいしか書いてない。いいですね~♪バロック・古典あたりは、「お約束」が周知されているのに比べ、現在の音楽の方が複雑であるから仕方ない側面はあるのかもしれないけど、このくらいすっきりしていると、楽譜を読むのが楽しくなる。ここに原典版を使う意味があるってなもんですよ。高校時代に歌ったモーツァルトの楽譜を久しぶりに見たんですけど、指示記号のあまりの多さに閉口。昔はこういう楽譜を違和感無く見ていたんだと思うと、自分も成長したんだなあとちょっと嬉しくなっちゃいました。

あれ?話が違う方向に(汗)

43巻読破がんばります!

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買い始めてしまった。

おいらは司馬遼太郎が大好きなんですわ。もう盲目的なくらい。

きっかけは、弟が買って読んでいた「項羽と劉邦」を、たまたまペラペラと読んでくうちに、「お~~~~!こんなに本読むのって楽しいんだぁ♪」と、感動しちゃったことからなんです。それまでは国語大嫌いな人間で、「ま、日常生活に困らない程度に日本語と接していればいいや~」なんて思ってたくらい。彼との出会いはそれだけに強烈でした。

その後は、彼の著書を買っては読みの毎日。特に「尻喰らえ孫市」「関が原」「夏草の賊」がお気に入りで、何回も読み返すくらい。

そんな司馬マニアなおいらなのですが、これだけは買うのに躊躇していたものがあります。

「街道を行く」全47巻。。

おいらは読み出したら一気に読まないとイヤなタイプなので、47巻を一気に読もうとしたら、引き篭もりになるしかないよなあと、今まで買わないでいたんです。

が、ある日のこと、相方が「街道を行くを読んでみたいなあ」とポツリ言うんです。今まで我慢に我慢を重ね、せっかく封印してきたんだけど、この一言で一気に崩壊(笑)

早速最初の4巻を購入。今まで我慢していただけに、貪るように読みふけります。まあ、自分も大人になったためか、生活を壊すような無茶読みはしなくなりましたが、1週間かからずに完読。すぐに次の3巻を購入。まあこんな感じで、現在8巻目が終わろうとしています。

でも、まだ47分の8。全部完読するためには一体何時間かかるのでしょう・・・・その日を夢見ながら、しこしこ読書をする毎日でございやす。

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