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柔道とJUDO。

現在行われている世界柔道において、鈴木桂治選手が相手を倒し「一本」かと思われたところ、相手の選手がその流れの中で覆いかぶさり、逆に「一本」を取られ負けたという事件が起こりました。最初、主審は鈴木選手の「一本」を取りましたが、判定で覆ったとのこと。

はっきり言って、素人目には現在の世界的なルールに照らし合わせてどうなんだか分かりません。

例えば、日本の競技団体主催で行われる大会であれば、相手選手が「死に体」だったから鈴木選手の一本だと思います。が、「死に体」を理解できる世界の人々はどれだけいるのでしょうか。「普遍化すること」とは、それを生んだ民族の血にこびり付いている精神が薄まっていき、それぞれの民族が持っている精神によって変化し、多様化していくことです。「柔道」から「JUDO」になることです。

普遍化されたものに対しては、逆に、その民族だけが持つ世界観を守って孤高の戦いをするか、新しく変化したものを受け入れるか、どちらかを選択しなければならないという苦渋の選択が待っています。(もちろん絶対的な力でもあれば違うでしょうが)この選択から逃げ、「これは俺たちのものではない、違う。」と文句しか言わず、理解してもらう努力を怠り、ただ自分たちの世界観を押し付けようとするだけで終止するのであれば、最初から普遍化しようと思わないことです。「郷に入れば郷に従え」という言葉が辞書に無い国だってあるわけですから。

西洋音楽を奏でている私としては、この「土着」と「普遍」という問題は、他人事ではないのです。

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