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やっと24巻

久しぶりに読書の話でも。

司馬遼太郎の「街道を行く」全43巻(前に47って書いた記憶があるんですが、間違ってました)、やっと24巻目に入ることが出来ました。まだ、半分クリアしたって感じなんですね。道のりは長い・・

この本を読んでいると、色んな街に行きたくなってしまって困るのですが、司馬さんの書く文字から、その土地の風景を想像するのがとっても心地よいのです。文字を読んでるだけなのに、どんどん風景が見えてくるんですよ。不思議な感覚。

司馬さんの本を読み始める前は、漫画大好き人間だったのにな。今は一切読んでません。文字と言うのは、能動的に読めば読むほど、自分なりの絵が展開されていくでしょ。この快感を覚えてしまったら、イメージが固定されてしまう漫画は詰まらなくなるんですよ。

考えてみれば楽譜も同じなんだよね。音符と歌詞が無機質に印刷されているだけなのに、見ているとどんどんイメージが広がってくる。あ、ここは作曲者がこういう要求をしているんだなとか、ここは遊んでるなとか、ここは一番訴えたいところなんだなとか。読書をしだしてから、自分でイメージし、展開できる幅が確実に広がったなと思うんですよ。その証拠に、以前は、発想記号が一杯書かれている楽譜の方が楽だなと思ってたんですけれど、最近は、あまり書かれていない楽譜の方が好きになった。

もちろん、作曲者としては意図した通りに演奏して欲しいと思って、一杯書き込むのかもしれない。まあ、その気持ちも分かるんですけど。そうだよね~、ここはcrescendoしたいよね~・ritしたいよね~と思っているうちは良いのですが、あまりごちゃごちゃ書かれると、そんな発想記号書かなくても分かるのに、君の気持ちはよく分かったから、もう少し演奏者を信用してくれと思ってしまう。ま、こっちもわがままですから、勝手に思っているだけですけれど(笑)

今、モーツァルトのミサ曲を2団体でやってるんですけど、速度指定と「f」「p」くらいしか書いてない。いいですね~♪バロック・古典あたりは、「お約束」が周知されているのに比べ、現在の音楽の方が複雑であるから仕方ない側面はあるのかもしれないけど、このくらいすっきりしていると、楽譜を読むのが楽しくなる。ここに原典版を使う意味があるってなもんですよ。高校時代に歌ったモーツァルトの楽譜を久しぶりに見たんですけど、指示記号のあまりの多さに閉口。昔はこういう楽譜を違和感無く見ていたんだと思うと、自分も成長したんだなあとちょっと嬉しくなっちゃいました。

あれ?話が違う方向に(汗)

43巻読破がんばります!

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