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2005年10月

やっと24巻

久しぶりに読書の話でも。

司馬遼太郎の「街道を行く」全43巻(前に47って書いた記憶があるんですが、間違ってました)、やっと24巻目に入ることが出来ました。まだ、半分クリアしたって感じなんですね。道のりは長い・・

この本を読んでいると、色んな街に行きたくなってしまって困るのですが、司馬さんの書く文字から、その土地の風景を想像するのがとっても心地よいのです。文字を読んでるだけなのに、どんどん風景が見えてくるんですよ。不思議な感覚。

司馬さんの本を読み始める前は、漫画大好き人間だったのにな。今は一切読んでません。文字と言うのは、能動的に読めば読むほど、自分なりの絵が展開されていくでしょ。この快感を覚えてしまったら、イメージが固定されてしまう漫画は詰まらなくなるんですよ。

考えてみれば楽譜も同じなんだよね。音符と歌詞が無機質に印刷されているだけなのに、見ているとどんどんイメージが広がってくる。あ、ここは作曲者がこういう要求をしているんだなとか、ここは遊んでるなとか、ここは一番訴えたいところなんだなとか。読書をしだしてから、自分でイメージし、展開できる幅が確実に広がったなと思うんですよ。その証拠に、以前は、発想記号が一杯書かれている楽譜の方が楽だなと思ってたんですけれど、最近は、あまり書かれていない楽譜の方が好きになった。

もちろん、作曲者としては意図した通りに演奏して欲しいと思って、一杯書き込むのかもしれない。まあ、その気持ちも分かるんですけど。そうだよね~、ここはcrescendoしたいよね~・ritしたいよね~と思っているうちは良いのですが、あまりごちゃごちゃ書かれると、そんな発想記号書かなくても分かるのに、君の気持ちはよく分かったから、もう少し演奏者を信用してくれと思ってしまう。ま、こっちもわがままですから、勝手に思っているだけですけれど(笑)

今、モーツァルトのミサ曲を2団体でやってるんですけど、速度指定と「f」「p」くらいしか書いてない。いいですね~♪バロック・古典あたりは、「お約束」が周知されているのに比べ、現在の音楽の方が複雑であるから仕方ない側面はあるのかもしれないけど、このくらいすっきりしていると、楽譜を読むのが楽しくなる。ここに原典版を使う意味があるってなもんですよ。高校時代に歌ったモーツァルトの楽譜を久しぶりに見たんですけど、指示記号のあまりの多さに閉口。昔はこういう楽譜を違和感無く見ていたんだと思うと、自分も成長したんだなあとちょっと嬉しくなっちゃいました。

あれ?話が違う方向に(汗)

43巻読破がんばります!

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あ・あぁああ~

10月の始めのことなんですが、秋は何を植えようかなぁと近くの園芸店に行ったら、二十日大根の種が「あたいを植えてよ~」と訴えている気がしたので(?)、購入。

早速植えたわけですが、ご存知の通り、晴れた日が少なかったですよね。まあ、その中でも懸命に芽を出し、双葉が開いて、本葉が出て、と、曲がりなりにも育ってきていたわけです。

が、育っていくうちに気になることが・・・

多分、肥大し丸くなっていくであろう根の部分が、土の中じゃなくて、表にひょろひょろ~~と伸びているんですよ。こんなに伸びちゃって大丈夫かなあとは思っていたんですが、そのままにしていました。

やっぱり不安。。

先ほど一念発起して、二十日大根について調べたら・・・まずい!!丸くなるところが表に出すぎていると、丸く膨らまなくなり、ただの葉大根になってしまうことが判明。さっそくその根の部分に土を被せたんですが・・

どうなるのだろう。。

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白線流し

あ”--!!

ドラマ「白線流し」のスペシャル最終回(10/7)観逃したのに、
今日(10/23)気付いた・・・・_| ̄|●

うぇ~~ん、観たかったのに・・・(;_;)

どなたか録画してませんか?

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熊野古道⑪~3日目・続~

10月も半ばだというのに、1回も日記書いてなかったですね。熊野古道に行ってから2ヶ月経ってるのに、未だ完結せず。これではいかん!これで終わらせるぞーー(気合)

近くのバス停で降り、もう那智の滝が手の届く所にあるわけだが、感動はすれど、なんか違和感がある。なんでだろう・・しばし考えこむ。なんでだろう・・・昨日、継桜王子に着いた時の達成感、野中の清水で水を飲んだときの爽快感。今日の自分には、いまひとつ心の底まで響いてこない。目の前にあるのに。。もどかしい。

やっぱ、自分の足で登ってこなければいけなかったんだなあと、気付かされた。滝の近くまで行き、悠然と落ちてくる瀑布を眺めれば眺めるほど、その後悔が強くなってきた気がした。そして見れば見るほど、圧倒されていく。結局は心の問題なんだろうけど、自分の足で歩くことで、初めて対等な立場で見つめることができるのだと思った。

とはいえ、現実として足は痛い。今回は勘弁してくれと滝に許しを請い、別れを告げた。

ちなみに、バス停から石段を5分くらい降りると到着します。さらに300円払って小さなお札を買わないと更に近くまでは行けないのですが、これは素直に買って近くまで行ったほうがいいです。真下から眺める滝は本当に威厳を感じます。見晴台のベストポジションで見てたのですが、恥ずかしいくらいに、しばらくは口をあんぐり開けたままでした。どのくらいの時間見てたのでしょうか、気が付くと、後ろに列ができていましたよ。ごめんなさい(笑)

昼食をとった後、本来は登るべき「大門坂」を降りていく。相変わらず相方は元気一杯。坂の半分くらいのところまで降りていって、また上まで登っていった。その体力を分けてくれよ・・・ でも、わざわざ登って行った気持ちは分かる。同じ事を感じていたんだろうな。ちょっと羨ましかったりしたが、顔には出さなかった。だって、顔に出したら「登ろうよぉ♪」と言うに決まってる。もう無理です・・・

苔むした石段を降りきると、あとはひたすら舗装された道を那智駅に向かって歩く。那智駅に着くと、紀伊勝浦行きの電車がすぐ来るらしいので、しばしホームで休憩。ホームの隣は海水浴場。真っ白な砂浜が続いている。無人駅なので窓から砂浜に降りることもできたんだけど、眺めるだけにしておいた。

勝浦に着き、しばし買い物タイム♪駅前に大きい売店があり、休憩所も併設してたので、のんびりと物色。梅干の試食があったので、そのひとつを食べてみたんだけど、すっぱくなくて不満!せっかくの紀州梅が台無しだよ。箱の後ろを見て、昔ながらの作り方をしているものを探すと、2~3種類あったので食べてみる。お~~、すっぱ~~い♪これだよね、梅干は。

なんだかんだ買い物をしていたら、電車に乗る時間が来たので駅に戻る。17時の名古屋行き特急に乗り、いざさらば!新幹線が遅れるアクシデントはあったものの。22:30ころ家に到着。3日間の熊野詣もこれで終わり。

今回の旅は、今まで行った中で一番きつかったなあ。でも、念願だった熊野古道を歩くことが出来、非常に満足でした。もう一回同じ行程で歩くのは拒否ですがね(笑)

やっと書くのが終わった・・・・

_| ̄|●バタッ・・


終。。

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